BUDDHA BRANDを考える際のヒントがぎっしり!
日本には四季がありますからね。
BUDDHA BRAND:1995年に日本での活動を開始したヒップホップ・グループ。1996年のメジャーデビュー曲〈人間発電所〉は日本語ラップのアンセムとなった。MCはDEV LARGE、CQ、NIPPSの3人。DJはMASTERKEYが務める。
便所コオロギ(秋)
[DEV LARGE]
〈人間発電所 (Original ’96version)〉1996年 作詞:H.KON, T.HIRAGURI, H.KIMURA
根こそぎ雑魚の芽絶やす
葬る 埋める 有無は言わさぬ
便所コオロギ Kill 真っ二つ
「便所コオロギ」はカマドウマの俗称。古名「いとど」は秋の季語。コオロギと違って鳴かない虫で、冷暗所を好む。見た目や住む場所からゴキブリより嫌われることもある。
このような虫を敢えて素材として取り上げ、Wack MC1=「雑魚ども」の喩えとしたところにまず、「真の死の詞の職人」たるDEV LARGEの俳諧・諧謔がある。
CQ:(〈人間発電所〉を)全く売ろうと思ってなくて。ちょっと一般……「便所コオロギ」とか言っちゃダメでしょ? たぶん、普通だと。
DOMMUNE『病める無限のD.Lの世界』2015年。音声はこちら。書き起こしはこちら。
本根誠:でも、DEV LARGEは明らかに言ってたよ。「フリーソウルを狙うんだ、僕は」みたいな。
一方で「真っ二つ」のフロー、特に「ぷたーつ」の譜割は素晴らしい。「葬る 埋める 有無は言わさぬ」で「u」を連発した後に破擦音「つ ts(u)」で締めるのも効果的だ。BUDDHA BRANDのリーダー兼ラッパー兼プロデューサー兼トラックメイカーとして八面六臂の活躍をした、DEV LARGEのヒップホップが漲っている。
季節感に関してコメント。「便所コオロギ」にしろ「雑魚の芽」(春?)にしろ、自然物を「根こそぎ」「絶やす」姿勢が評価されていること、もっと言えば当然の前提になっていることに注目したい。これは伝統詩歌には見られない。死の俳諧であり、死を与える俳諧である2。
大麻(夏)
[hook – NIPPS & CQ]
〈Ill伝承者 (Demo Version: April Fool Mix)〉1996年 作詞:H.KON, T.HIRAGURI, H.KIMURA
緑の五本指 飛ぶ葉飛ぶ火
赤目のダルマのオジキ
大麻(おおあさ)は7月上旬~8月上旬の古季晩夏に収穫される。現代では(言うまでもなく違法の)室内栽培により、年数回の収穫が可能になった。引き換えに季節への繊細な感性を失った。
「ダルマ」は初春の季語、めでたい出物として使われることが多い。ここでの「赤目のダルマのオジキ」はマリファナを吸って眼が赤く充血している、めでたくないおじさんである。無季。
「緑の五本指 飛ぶ葉飛ぶ火」と高い声でNIPPSが詠えば、「赤目のダルマのオジキ」と低い声でCQが挨拶する。NIPPSはモノに、CQはヒトに着目しながら、共に「i」の脚韻を踏む。この協働と対立、連衆/ラッパーの在り方に、集団文芸としての俳諧/ヒップホップの本質がある3。
狼(冬)
[OSUMI]
〈大怪我 (Ill Joint Stinkbox)〉1996年 作詞:ECD, 飛葉飛火, 秀法師, CQ, OSUMI, 大峠雷音 4
大神 闇夜 ビルの谷間伸びる7つの影
大怪我するぞ 今 野生の天国から来たぜ
狼は古く「大神」として畏れられ、信仰の対象になった。ただし現在知られる狼信仰は、ニホンオオカミ絶滅(1905年)・民俗学以後に再編成された部分も大きい。
〈大怪我〉においてBUDDHA BRANDとSHAKAZOMBIEのメンバーは、2つの存在に喩えられている。1つは獲物の少ない冬の「闇夜」に人を「虐殺惨殺」する飢えた獣=狼に。もう1つは本物のヒップホップの少ない不毛の時代に現れた、恐るべきスキルをもったラッパー・DJ=大神に。
月(秋)
[NIPPS]
〈大怪我 (Ill Joint Stinkbox)〉1996年 作詞:ECD, 飛葉飛火, 秀法師, CQ, OSUMI, 大峠雷音
IT’S DA 大神CREW
月を見りゃ ついほえてしまう
花(桜)は春。月は秋。これは日本詩歌の大原則だ。
「月に吠える」で思い出すのは、萩原朔太郎『月に吠える』(1917年)。この詩集には朔太郎が自身を擬した「病める犬」のモチーフが頻出する──つまりILLな犬だ。
憂愁とダンディズムの19世紀フランス詩人ボードレールが居て、大正のセンチメンタリスト萩原朔太郎が居て、『Illmatic』(1994年)のラッパー Nasが居て、それらすべての「イルの息子」「イルの伝承者」(〈Ill伝承者〉)としてBUDDHA BRANDは生まれ出でた。
なおBUDDHA BRANDにおける「ILL」は古語「あわれ」並みの多義語──音は「KILL」にも「CHILL」にも通じ、「病み」は「闇」に音通する──であり、季節を問わない。
ウニ(春)
[NIPPS]
〈人間発電所 (Original ’96version)〉1996年 作詞:H.KON, T.HIRAGURI, H.KIMURA
ウニ MCs get gased like 猛毒ガス
ウニ(海胆/雲丹)は春の季語。
NIPPSのラインが地下鉄サリン事件(1995年3月20日)に取材したものであることはよく知られている。時代を刻印する比喩の不謹慎さ。そうだとして、なぜ句頭は「ウニ」でなければならないのか。
ウニは外側が尖っているだけの弱い生き物で、その様子がWack MCsに喩えられている、と解釈することはできる。しかしこんなものは後知恵にすぎない。
NIPPSの頻出フレーズ「知った振りしろ」が「act like you know」の直訳から生まれたことはよく知られているが、そのような英語からの翻案でもないだろう。
あるいは「ウニ」という言葉をよくよく反芻すると、単数を表す接頭辞「uni」に聞こえてくる。が、これは前後との音韻的な馴染みを説明しても、意味的には全く通らない。
NIPPS:[……]「ウニ」EMCEE’Sで「ウニ」はどうしてか、って後で訊かれてもしょうがないんですけど、ウニって尖ってて、割ってみると意外と美味しかったりする。弱い生き物だと思うんですよ、だからあれだけハリに守られている。あの中に入っていかなきゃいけない。そういうことを表現したかったんです。そういう連中はよくない、と。
陣野『ヒップホップ・ジャパン』p.115
陣野:でもそれって、後づけの説明なんですか?
NIPPS:後づけ、後づけ(笑)。
結局のところ、BUDDHA BRANDにままある意味不明な「物質としての言葉」「音そのもの」と思う他はない。
1小節の中で1拍のさらに半分しか使わない「ウニ」の突き刺さりが、(歌詞カードを見たとき)5ラップを立体的にする。CQの「from 九次元」(〈人間発電所〉)、DEV LARGEの「物事立体に思い浮かべる/空間処理能力に長けてる」(〈Ill伝承者〉)といったセルフ・ボースティングも、あながち的外れではない。
ダニ(夏)
[CQ]
〈Return of the Buddha Bros.〉1999年 作詞:H.KON, T.HIRAGURI
俺のチン毛に絡み付くダニMC’s
シュシュシュシュシュ 消却
下ネタである。BUDDHA BRANDのMCは全員下ネタを好むが、CQは品の無さよりしょうもなさが先立つ下ネタを使うところに特徴がある。そしてしょうもないからこそ生じる諧謔もある。
Wack MCを「陰毛に住むダニ」に喩えるのは流石に意表を突かれた。これを聞くとまず「夏場に不潔だなあ」と思う。セルフ・ボースティングとは逆の、自らを格下げする体を張った笑いだ(とはいえWack MCとの力関係は保ったままなことに注意)。
さらにこの句から、人とダニとの共生関係さえ読み取りたくなる──人の手によってすぐ念入りに「消却」されてしまうが。スプレーを使う動作もユーモアにあふれている。
ところで、このラインは16小節あるCQのヴァースの9-10小節目を占めている。バックトラック的には上物が新たに入ってきて記憶に残りやすい部分だ。そこでこんなこと詠ってるのか。
総じて、CQのキャラクターをうまく使ったギャグと言えよう。
冬場の野糞(冬)
[NIPPS]
〈Funky Methodist〉1995年 作詞:H.KON, T.HIRAGURI, H.KIMURA
I drop da funk like a 冬場の野糞
下ネタである。〈人間発電所〉にも「My shit is tighter than ~」というNIPPSのラインがある。自らの言葉を「shit」としたとき、硬ければ硬いほどハードコアで良いという価値観と、「MY SHIT IS FRESH」(95年版〈人間発電所〉)であるほど良いという価値観の2つが確認できる。この矛盾の中で、「冬場の野糞」という句は生きる──硬く、同時に生まれたてのように熱い。
伝統的に「糞」は「こえ(肥え)」とも読む。特に「寒糞/寒肥(かんごえ)」は晩冬の季語で、やがて始まる草木の活動に備え、土壌に栄養を与えるものだ。「冬場の野糞」もそのようにして私たちを養う。
山火事/暖炉(冬)
[CQ]
〈人間発電所 (Original ’96version)〉1996年 作詞:H.KON, T.HIRAGURI, H.KIMURA
火を吹く取り巻く山火事
ライカスペシウム光線
[DEV LARGE]
〈大怪我 (Ill Joint Stinkbox)〉1996年 作詞:ECD, 飛葉飛火, 秀法師, CQ, OSUMI, 大峠雷音
魔性のMIC魔王 HEATING SYSTEM
暖炉のように熱く燃え続ける
「火」が関わる冬の季語。
「火」に関連して、季の句ではなく雑の句になるが、「にょきっと立つ like 銭湯の煙突」「Sucka焼き尽す I’m like ガスバーナ」(〈人間発電所〉)といったラインも存在する。
さらに〈人間発電所〉のフックには「Buddhaらに火を灯して夜空に翳そう/Yo! そして天まで飛ばそう」とある。これは仏教において仏に供える灯明・香・花の3つのうち最も重要な灯明について語ったもので、釈経の句と言える。
モノホンプレイヤー(春)
[hook]
〈人間発電所 (Original ’96version)〉1996年 作詞:H.KON, T.HIRAGURI, H.KIMURA 6
You need a hard to play this game
気持ちがレイムじゃ
モノホンプレイヤーになれねえ
「モノホンプレイヤーになれ」という新入生・新社会人(春)応援ソングか。
ちなみにこのフックの後、「みなに万遍 けんべん」というCQのラインがある。「検便」も春の季語。
後記
BUDDHA BRANDを題材に選んだのは、個人的な好みを別にすると、季節感が薄くなりがちなヒップホップ・グループの中でも特に季節感の薄い印象を持っていたからである。セルフ・ボースティングと「雑魚ども」を殺す方法(「葬る 埋める 有無は言わさぬ」など)の話しかしていない、「雑魚ども」が具体的にどのような行動をしてどこが悪いかについてほぼ語っていない、と。これ自体は正しい7。
しかし頑張って探すと、季語(にこじつけられるもの)は想像以上にあった。例えば本稿で紹介しなかった〈ブッダの休日〉(1997年)には、花(春)・森林浴(夏)・水鉄砲(夏)・虹(夏)・シャボン玉(春)といった季語が使われている。
この益のない季節探しゲーム8を他のミュージシャンで試してみるのも、また一興だろう。
ああ聞かれることばかり
小袋成彬作詞〈Butter〉2021年
またあいつは言葉狩り
参考資料
・引用資料
陣野俊史『ヒップホップ・ジャパン』河出書房新社、2003年
DOMMUNE『病める無限のD.Lの世界』2015年
書き起こし:『CQ NIPPS 本根誠『人間発電所』制作秘話を語る』https://miyearnzzlabo.com/archives/27270 (2024年1月30日閲覧)
・俳句と俳諧に関して
辻桃子・安部元気『増補版 いちばんわかりやすい俳句歳時記』主婦の友社、2016年
安東次男『連句入門』講談社、1992年
・「黒人音楽」に俳諧的世界を見るアイディアについて
「第2章「鳥獣戯画」ブルース」、後藤護『黒人音楽史 奇想の宇宙』中央公論新社、2022年
脚注
- 敵MCの蔑称として「Wack MC」が定着したのは日本語ラップだと比較的最近のこと。BUDDHA BRANDでは私の知る限り〈大怪我 (Ill Joint Stinkbox)〉の「WACK M.C’S」しか例がない。当時は「Sucka」の方が普及していたようだ(〈人間発電所〉〈魔物道〉など)。BUDDHA BRANDの場合一番多いのはシンプルに「雑魚」。
- 明治以降の近現代詩歌には「死」を扱った作品が多数存在する。BUDDHA BRAND的な態度・方向性となると流石に数が限られるが、ないわけではない。ここでは殺す方法が具体的かつラッパー的機知が垣間見られる俳句として、次を紹介する:「金魚手向けん肉屋の鉤に彼奴を吊り」(中村草田男『火の島』1939年)。
- 「俳諧」はもともと「俳諧連歌(連俳・連句)」と呼ばれる、滑稽味と遊戯性の強い集団文芸だった。このゲームの参加者は「連衆」と呼ばれ、五七五と七七の句を分担しながら交互に詠んでいく。さらに特定の季節・特定の主題を連続で一定回数以上詠むことを禁ずる規則や、特定の句数目で「花」を2回「月」を3回詠むべきこと(計36句からなる歌仙の場合)などが定められている。俳諧連歌に対し、単独で鑑賞する「俳句(発句)」は松尾芭蕉から正岡子規にかけて定着した。
一方、フリースタイルラップの起源の1つとして、「ダズンズ」と呼ばれる罵り合いのゲームが知られている。俳諧同様に、相手と場があって初めて成立する言葉遊びだ。 - OSUMIは BUDDHA BRANDではなくSHAKAZOMBIEのメンバー。説明上の都合で特別に「BUDDHA BRAND歳時記」に採録。
- この突き刺さりは歌詞カードと音楽の差異から生まれた一種の錯誤である。歌詞カードを見ずに〈人間発電所〉に夢中になっている人は、気持ちの良い音韻「uni」の正体を気にしないだろう。「uni」は文章的な意味を持っていないかもしれないが、音楽的な役割≒意味をそれ自体で十分に持っているからだ。しかし歌詞カードを見ることで、「uniがウニだったこと」と「文章的にウニが意味不明なこと」の2つに驚かされる。また歌詞カードの微妙さを示す他の例として、「get」が実際は「gi」と訛って発音されていることも指摘しておきたい。
NIPPSいわく「あんまりラップって読むものじゃないと思っていたし、読むものだったら歌う必要ないし。ほんと、こいつくだらないこと歌ってるなあ、と歌詞カードみて思っていても、音源によって全然変わって聴こえる。世の中の汚いことをずっと歌っていても、その口調だったり、言葉をストレスする部分だったり、ウラの音源で全然変わってきちゃうから。」(陣野『ヒップホップ・ジャパン』p.120)。 - 〈人間発電所〉のフックはNIPPSが書いたヴァースが元になっている。DEV LARGEの判断でNIPPSの知らぬ間にフックとしてエディットされた。DOMMUNE『病める無限のD.Lの世界』参照。
- NIPPSは「俺の場合は、ほんと、ボキャブラがないんで、繰り返している部分はあるかもしれない」と述べる一方で、「ブッダの歌詞には地域代表型のリリックはなかった。[……]でも俺らがやってて何がいちばん嫌だったかというと、そんな簡単にラップされちゃ困るよ、ということ。[……]自分の出自を喋ったり、どこに基盤があるかをラップするのは、簡単な部類だと思いますよ」とも述べる(陣野『ヒップホップ・ジャパン』p.92,96)。彼らの語彙・話題の狭さには意識的な美学も関係していた。
よくよく考えると、セルフ・ボースティングも「空間処理能力に長けてる」など、どうとでも解釈できそうな抽象的なものばかりで、現実の情報には中々紐づかない。だが紐づかないからこそ、突拍子のなさや飛躍が強度に転化する。また「歌詞とラッパーの人格が実は結びついてない」のは「誰が歌ってもよい」ことにもなり、BUDDHA BRANDの愛唱性に一役買っている。もちろん、「口に出して気持ち良い」のが今も愛唱される(聴かれるだけでなく口ずさまれる)一番の理由だろう。 - 補足(歳時記に馴染みのない方へ):本稿の内容は「ハワイ歳時記」など各種歳時記のパロディというより、リリック評釈(のパロディ)なので、誤解なさらぬよう。