2023年12月7日、第二次世界大戦後のイギリスを代表する作家・詩人のベンジャミン・ゼファニア(Benjamin Zephaniah, 1958~)さんがお亡くなりになりました。『白旗 第2号』に掲載された石橋直樹さんの記事「ダブ・ポエトリー宣言」では、ベンジャミン・ゼファニアさんがダブ・ポエトリーに与えた影響について扱っています。
ゼファニアさんご逝去に際し、著者である石橋さんの了承をいただき当該箇所を抜粋して公開いたします。なお紙媒体からWeb媒体への移行に伴い、表現を一部変更しています。予めご了承ください。
ベンジャミン・ゼファニアのダブ・ポエトリー
ウィンドラッシュ世代1の二世としてイギリスのバーミンガムとして生まれたベンジャミン・ゼファニアは、2008年にタイム誌でイギリス戦後作家トップ50に選ばれるなど現在も影響力を及ぼす詩人・活動家であり、ダブ・ポエトリーの重要な問題を提起している2。ゼファニアは幼少期に家庭崩壊を経験し、識字障害と診断され学校も退学、非行少年を収監する内務省認定学校や刑務所に収監されるような青年時代を過ごした。20歳になるとロンドンへ行き、そこで1970年代後半の反人種差別闘争に参加していくこととなる。この抗議集会などにおけるパフォーマンスによって徐々に頭角を現し、メディアを通じて全国的な注目を集める3。1980年には最初の詩集『Pen Rhythm』を出版し、1983年にはファーストアルバム『Rasta』を発表する。冒頭曲の〈Rasta〉は抵抗運動とラスタファリアニズムが交差する象徴的な曲となっている。現在、ゼファニアは反人種差別、反帝国主義、反暴力、ヴィーガンの立場を表明しており、平易な言葉によるアジテーションによって政治的に大衆の心を惹きつけることができるカリスマ的な存在として影響力を及ぼし続けている4。
ゼファニアの詩の原点はどこに求めるべきだろうか。ゼファニアは読み書きができない幼少期、ベネット5の影響で詩を学び、それを書き起こすために文字を覚えたという。
すべてのダブ詩人の女王といえるだろうルイーズ・ベネットのジャマイカからのテープを、わたしたちはよく聴いていた。わたしにとって、それは 2つのことだった。
Simon Joseph Jones “Dread Right?” HIGH PROFILES,2005, https://highprofiles.info/interview/benjamin-zephaniah/(2023/06/12)
何かを言おうとする言葉と、リズムを生み出す言葉である。詩を書くということは、白人にはとてもおかしなことだった。「それを書き留めておかなければいけない」と言われたのは、その後のことだった。
“正当な”英語というものを知らなかったがために、聞こえてくるベネットの声のリズムを書き写すようにして、言語を覚えたのである。ここにおいては、文字から隔絶されていたゼファニアの特異性が、音声で流れてくる遥か遠くの故郷の声を母語にすることを求めたということが窺える。
ゼファニアはダブ詩人としての二つの側面を完全な形で引き継ぐ稀有な存在である。それはリントン6が色濃く受け継いだイギリスのレゲエの側面と、ジャマイカの国民語運動の側面である。体制に反抗するものとしてのアイデンティティを獲得していかなければならなかったというイギリス的情況は、図らずもここで、イギリスで教育を十分に受けることができなかったがためにカリブ英語で言語を学んだというジャマイカの国民語運動的文脈へと結びついた。両者はゼファニアの詩の中に流れており、その二つはダブ・ポエトリーの詩としての究極の問題を提起している。
ゼファニアが提起した問題とは、装飾も比喩もない言葉によって語られた詩は詩と呼ぶことができるのかという問いである。この難しさによって詩集の再版がうち止められることもあり、オックスフォード大学やケンブリッジ大学においてはゼファニアを詩人として認めるかという議論が沸騰した7。しかし、ダブ・ポエトリーがレゲエのリズムによって大衆との連帯を目指すという目的を堅持しているがために、むしろ詩人として知的エリートの立場を捨てないゼファニア以外のダブ・ポエトリーこそ偽りのものであるという批判も存在する。詩的に言葉を装飾することを取るか、平易な言葉によって大衆と連帯することを選ぶかということはダブ・ポエトリーの重要なジレンマなのであり、ゼファニアはその両者において極北の詩人であるといえる。ゼファニアの詩の信条を反映した「Dis Poetry」には次のような句が存在する。
Dis poetry is quick an childish
Dis poetry is fe de wise an foolish,
Anybody can do it fe free,
Dis poetry is fe yu an me”
(詩は早く、幼稚である/この詩は、賢者と愚者のためのものである/誰でも自由だ/この詩は、あなたや私のためにあるのだ)
こうした志向性からか、ベンジャミン・ゼファニアは意外にも子供たちに人気があり、1994年にクリスマスに殺されてしまう七面鳥と子供たちの対話を描いた「Talking Turkeys」を出版するとすぐに児童詩の金字塔としての地位を確立するようになっていく8。人種問題や環境問題などをテーマとするゼファニアの詩は英語学習において必要不可欠の教材となっており、奇しくもベネットが子供たちの母語になったのと同じように、ゼファニアの言語は子供たちに影響を及ぼし続けている。
(石橋直樹「ダブ・ポエトリー宣言」の第二章「ダブ・ポエトリーの誕生」より抜粋)
脚注
- 編集部注:第二次世界大戦後の労働力として1948年~70年代初頭にかけてイギリスにやってきた、イギリス植民地だった西インド諸島からの数千人の移民。公的書類を持たないまま入国したため、乗員や一緒に移り住んだ子孫たちはその後、激しい弾圧運動にさらされることとなる。一方、奇しくも彼らの影響でイギリスはレゲエの一大消費地となり、UKレゲエ誕生にも繋がった。
- ゼファニアの日本語訳としては、『難⺠少年』(金原瑞人訳、講談社)や『フェイス』(金原瑞人訳、講談社)などの小説のみ出版されている。2018年には自伝“The Life and Rhymes of Benjamin Zephaniah: The Autobiography”が出版されている。
- 石塚九郎編『イギリス文学入門』三修社、2014 年、324-325 頁参照。
- 2003年には大英帝国勲章(OBE)の授与を拒否しセンセーショナルを引き起こした一方で、イギリスで非常に人気のあるドラマ『ピーキー・ブラインダーズ(Peaky Blinders)』にアフロカリブのストリート説教者“ジェレミア・イエス”役として出演し、今も若者の間で人気を獲得している。
- 編集部注:ルイーズ・ベネット(Louise Bennett, 1919~2006)。ジャマイカの詩人・民俗学者。ジャマイカのパトワ語(ジャマイカ・クレオール語)などの現地語に対し国民言語としての正当性を主張し、パトワ語で詩を出版した。ベネットの活動は今日ではジャマイカの国民語運動の端緒として知られている。またレゲエ以前のジャマイカ音楽を記録した『Jamaican Folk Song』(1954)や、ラジオ番組『Miss Lou’s Views』(1965~1982)などの音声作品も多く手掛けている。この時期生まれたジャマイカの子供たち(そして遠くイギリスでテープを聴いていたゼファニア)にとって、ルイーズの言葉こそが母語だった。
- 編集部注:リントン・クウェイシ・ジョンソン(Linton Kwesi Johnson, 1952~)。1970年代後半にダブ・ポエトリーという分野そのものを創り上げた詩人。その背景にあるのは(ジャマイカのオリジナル・レゲエというよりむしろ)UKレゲエだった。
- 臼井雅美『ブラック・ブリティッシュ・カルチャー』明石書籍、2022年、60頁。
- オーディオブック『Funky Turkeys』(2011)収録。