周東美材『「未熟さ」の系譜 宝塚からジャニーズまで』新潮社、2022年
要約・紹介
音楽批評にして社会批評ともいえる骨太な本の登場だ。
日本のポピュラー音楽史を語るには様々な切り口・史観があり得る。それは例えば「はっぴいえんど」中心史観だったり、江戸から引き継いだ「三味線ミュージック」史観1だったり、90年代クラブミュージックから遡及する「ダンス音楽」史観2だったりする。
本書が採用しているのはタイトル通り「未熟さ」中心史観で、これが想像以上に日本ポピュラー音楽の芯を食った分析なのだ。
扱われているトピックを順に挙げてみると、童謡(1918年~)、宝塚歌劇団(1911年~)、渡辺プロダクション(1959年~)、ジャニーズ(1964年~)、グループ・サウンズ(1965~1969年)、そしてオーディション番組『スター誕生!』(1971~1983年)、となる。これらに共通するのが「未熟さ」の愛好──プロらしさ・成熟よりむしろ、その欠如から生じる「アマチュア性」や成長途上の「可愛さ」「青春」を愛でる文化だ。
本書はカルチュラル・スタディーズのアプローチで、「未熟さ」に多角的な分析を加えている。
「未熟さ」は今なお日本の音楽界で支配的だ。昨年の動向を見ていても、YouTubeやTikTokを通じてアイドル・ボーカロイド・VTuber周辺から出てきた音楽がたびたびバズった。これらについては2023年の共時的現象として捉えるだけでなく、「未熟さ」の起源にまで遡って通時的に考えることが有効かもしれない。
そこで現れるものの1つが、ポピュラー音楽としての「童謡」だ。意外に思われるだろうが、1930年代の統計だと「子供もの」は3位の総制作枚数を記録し、かなり売れていたのである。背景にあるのは、ポピュラー音楽の購買層として1920年代、大都市でサラリーマン的な新中間層が出現したことだ。故郷を失った彼らは自らの子供を「聖なる」もの、唯一の拠り所として、「茶の間」中心の世界観を作り上げた。
この「茶の間」中心の世界観が、戦後も日本ポピュラー音楽を突き動かしていったことを、『「未熟さ」の系譜』は巧みに例証している。
とはいえ本書はJ-POP以前で話が終わっているため、実際に「日本式近代家族」「茶の間」が崩壊しつつある現代と繋げるには、いくつか補助線が必要だろう。明らかなのは、ポピュラー音楽に存在するもう1つの「未熟さ」、アメリカ型の「未熟さ」3の存在だ。つまり1950年代のロックンロールで消費・文化の主体としての「10代」が浮かび上がり、1960年代のロックで対抗文化に関わる「若者」が主張を始めた。旧来の音楽ジャーナリズムや音楽研究ではむしろこちらの方がよく話題に上ったが、当然、日本式「未熟さ」の系譜にも大きく影響している。
例えば1960年代後半のグループ・サウンズは、ロックを「茶の間」ナイズドするためにメンバーを「王子様」として扱うなど極度に芸能界化し、丁寧に反抗の牙を抜いた。その反動として日本のロックシーンが生じたことはよく知られている。1990年代のJ-POPは、脱「茶の間」のように見なされがちだが4、それは本当だろうか。『NHK紅白歌合戦』(1951年~)が未だに話題の種程度にはなるように、「茶の間」はイメージや記号として、変形しながらもしぶとく生き残り続けているのではないか。そしてまた、現実の多様性が認識されたために、かえって画一化された家族イメージである「茶の間」を更新するチャンスを失ってはいないだろうか。
ケース・スタディ:2023年のジャニーズと宝塚
期せずして2023年9月、「未熟さ」の音楽芸能を代表する2つの団体、ジャニーズと宝塚にそれぞれ大きな出来事・スキャンダルがあった。9月7日に藤島ジュリー景子がジャニー喜多川の性加害を認め5、 9月30日に宝塚劇団員が自殺した事件が起こったのである。これらについて、『「未熟さ」の系譜』に基づき構造的な分析を行ってみよう。
1964年に設立されたジャニーズ事務所は、ジャニー喜多川(1931~2019年)・メリー喜多川(1927~2021年)姉弟の独裁的手腕によって、ホリプロ・ナベプロの向こうを張るテレビ芸能界の一角を成した。
ジャニーズのタレントは礼儀正しい好青年だとよく言われる。ジャニーズ初期からこのイメージ作り・マナーは徹底しており、1965年には早くも「いつ会っても、素直で明るく、芸能界の人のように思えません」と吉永小百合がコメントしている。
「清濁併せ呑む」芸能界の人とは違う「クリーンな」好青年。この「未熟」なイメージこそ、ジャニーズが当初の10代少女というファン層から間口を広げ、子供とテレビを中心とする「お茶の間」で長らく愛されるために必須の要素であった。この様子は「ペットのようなアイドル」と揶揄されるほどである(『「未熟さ」の系譜』pp.161-165参照)。もう少し丸く言えば、「テレビ越しに見るもうひとりの息子」だろうか。
ジャニーズの原理として、アメリカ型のショービジネスとは全く異なる「未熟さのプロフェッショナリズム」を指摘できる。初代ジャニーズ(1962~1967年)は渡米した際、厳しさや実力の違いを痛感したらしい。しかしその違いは、量的なものに限らず質的なものでもあった。ジャニーズのタレントたちは、独特の身体規律──マナーから「バク転」に代表される身体動作に至るまで──によってよく訓練されている。
この訓練を通じて事務所内でも「家族的な絆」が形成される。メリー喜多川は母親代わりとなり、タレントの食事や健康に気を配って、学校の出欠・成績状況まで管理したらしい。と同時に、いつまでもタレントを「うちの子」に押しとどめる強固に閉鎖的な権力関係が構築される。ジャニー喜多川による性加害の根もここにあるのではないか6。
2023年9月7日、藤島ジュリー景子がジャニー喜多川の性加害を認め、10月2日に「ジャニーズ事務所」の名前が消えた。12月8日、新会社名「STARTO ENTERTAINMENT」の下で福田淳を社長とすることが発表されている。
「歌って踊れる」ジャニーズが先駆者として大いに参考していたのが宝塚歌劇団(1913年創設)だった。客層は女性・女学生主体、「清く正しく美しく」のイメージが今日では一般的だろう。しかしこうなったのは1930年前半のことで、最初期の宝塚は宝塚新温泉目当てに来る家族客への余興として始まり、「無邪気さ」を前面に押し出していたのである。
そもそも劇団員を「女生徒」と呼んだのは、「女優」のスキャンダラスなイメージと差別化するためだった。あるいはそもそも、宝塚を含む阪急グループの創業者である小林一三の鉄道戦略は、「1910年代に地方から大阪に集って過剰になった人々の住環境を郊外に設置する」というものであった。つまり宝塚歌劇団は新中間層・近代家族・郊外の創設と密着しているのである。童謡の形成と同時期なことにも注意しよう。
宝塚にもやはり、「未熟さのプロフェッショナリズム」が存在する。それは宝塚音楽学校(1919年設立)において叩き込まれるだろう(「学校」も「未熟さ」に関わるキーワードだ)。家族的・姉妹的な絆を理想としながら、あるいはそれゆえに、閉鎖的で厳しい上下関係が生じる。2023年9月30日に劇団員が自殺した事件もこれが大きな原因になっているようだ。……しかし宝塚のビジネスモデルが阪急グループ内で閉じているせいで、ジャニーズの場合と異なり外部企業のガバナンスによる情報開示が進まず、詳しい状況は伝わってこない。
聴く技術・書く技術
本書をある種の実用書として読み、日常的な音楽の聴き・語り・書きにどう活かせるかについてコメントする。
まずは、聴く技術。この手の研究書にありがちなように、1曲1アルバムの聴取で何か新しいことをやっているわけではない。しかしながら本書は、童謡からアイドルまでを貫く「未熟さ」史観を提示することに成功している。これにより1つの曲1人の作家を「未熟さ」の観点で聴き考えることが可能になった。十分すぎるほどの聴く技術と言える。
次に書く技術。様々な事実が適切に配置されており、どこを読んでも割と面白い本である(これまであまり強調していないが、単純に読みやすくて面白い本だからこの本を紹介している)。しかし、「メディア論寄りのカルチュラル・スタディーズのお手本」で片付けてしまうこともできなくはない。
個人的には、「お手本」を越えてもう少し偶然的な何かがあるように読める。本書の好ましい点は、あくまで音楽(芸能)周辺を主題としているために、かえって社会批評としての強度も増しているところだ。本当に目の付け所がよい。
日本における成熟/未熟の問題は、「母」や「アメリカ」を参照項として「第三の新人」と呼ばれる戦後の小説家たちを論じた江藤淳『成熟と喪失 “母”の崩壊』(1967年)や、ゼロ年代のオタク批評などで繰り返し問われて来た。開国以後、西洋列強が「日本」という国を「子ども」として眼差す視線を内面化してきたことが根にあるのかもしれない7。
「未熟さ」の愛好はポピュラー音楽に限ったことではない。漫画・アニメ・ゲーム・インターネットから、甲子園野球大会(1915年~)や箱根駅伝(1920年~)のようなスポーツに至るまで、現代日本文化のあらゆるところに浸透している。
ところで、なぜ「未熟さ」を主題としたポピュラー音楽批評が、そこまでロスなく社会批評として読めるのだろうか。
1つの理由は、ここまで「未熟さ」を欲望してポピュラー音楽を形成していった地域が他に見られないことである。例えばK-POPにおけるアイドルは、日本とは異なる道を辿っている(アメリカの「スター」により近い)。
もう1つの理由は、究極的には「未熟さ」以外の軸が存在しない可能性である。著者の周東美材は、日本のポピュラー音楽が常に外国の(特にアメリカの)ポピュラー音楽との受容・対立関係から形成されてきたことを踏まえ、次のように述べている。
日本のポピュラー音楽は、「子供」を中心とした家族生活以外に、「人種」や「民俗」や既存宗教のような一貫した価値体系を見出すことができなかった
『「未熟さ」の系譜』p.271
これは言い過ぎかもしれない。だが、メインストリームの周辺に常に「未熟さ」≒「かわいさ」がちらついていることもまた、否定し難い。
「未熟さ」──「近代家族」や「お茶の間」が崩壊しつつある現代日本において、今なお制作・流通・消費の各段階でイメージされ愛好され続けるこれは、一体なんなのだろうか。
脚注
- 大谷能生・栗原裕一郎『ニッポンの音楽批評150年100冊』リットーミュージック、2021年
- 輪島裕介『踊る昭和歌謡 リズムからみる大衆音楽』NHK出版新書、2015年
- アメリカ研究の習慣に従って、「未熟さ」よりアメリカ建国神話以来の「無垢 innocence」と言った方が適切かもしれない。
- 「歌謡曲は10万枚売れたらその10倍の人が聞くが、J-POPは400万枚売れても400万人しか聞かない」といった主旨のことを阿久悠が述べていた気がする。これは消費実体としての「茶の間」の崩壊を(イメージ的に)伝えているのだろう。
- 事務所側が認めるのは初だが、司法では20年ほど前から認定されている:1999年から2000年にかけて『週刊文春』が性的虐待疑惑を報じ、ジャニーズ事務所との間で裁判沙汰になっている。2003年に高等裁判所は性虐待行為を認定、2004年の最高裁上告棄却で文春側の勝利が確定した。しかしメディアのほとんどがこれを報じず、性虐待問題は2023年に至るまで「公然の秘密」であり続けた。
- 非対称な権力関係を前提とする少年愛は、日本では12世紀頃から貴族たち・仏僧たち・武士たちの間で広まり、戦国時代から庶民たちの間にも普及した。男性の少年愛者は両性愛者であることが多く、「対等な関係を一応の前提とするゲイ」とは慎重に区別される(少年愛が現代社会では許容されないという政治的理由も大きい)。ジャニー喜多川が生涯独身だったのはまた別の話。
- ポスト・コロニアルの立場で言えば、帝国主義時代の日本は韓国や台湾を「子ども」と見なしたことにも注意したい。